《内 容》
中絶が法的に認められるかどうか(優生保護法)の要因の一つは、赤ちゃんを人間と認めるかどうかという処かと思うんですけど、12週未満というのが一つの区切りなんですね。
そこまでは人間と認められていないので、だから(中絶)手術しても、いわゆるモノっていう感じになっちゃうんですかね・・・、法律上は・・・。法律上は、例えば、犬などもモノ扱いですからね・・・。
で、21週未満までは死産届けが必要なんですけれども、それ以降は手術をやってはいけないというのは、22週で生まれた後で生きていた子がいるんですよ。
生存した子がいるので、それ以下は手術しても助からないからこの場合は良いだろうと、ただ、それ以上になると助かる可能性があるので、もう(中絶)手術はしちゃいかんと・・・、そういう風に言われて、22週以降はダメだという事になってますね。
ただ、法律で規定されているからどうかっていうのは全く別の話で、倫理的にどうかっていうのは夫々の人の心の問題ですよね。
で、江戸時代なんかは、赤ちゃんは、命を授かるという事で、神様から与えられた命だっていう事で非常に大切にするんだけれども、一方で飢饉もいっぱいあったし、育てられない事もあったんですね・・・、沢山の子供がいて・・・。
で、その時は、”押し返す”という言い方で、赤ちゃんを向うに返すんですよ。間引きするんですね、所謂ね。だけど、そこにあまり、罪の意識は無いんですよね。
神様に、育てられないから、私達は育てられないから、神様にお返ししますという様な意味合いなんですよね。だからごく普通に、押し返すという言い方をしているんですよね。
だけど今の時代はね、多分、色んな、西洋から入ってきた科学的なものとか倫理観とか、色んなものがあって、混沌としてますよね。
だからそれ(中絶)はいけない、っていう人と、しょうがないという人と・・・・、それから、お母さん方の権利として、中絶は認めるべきだっていう人達もいるし、宗教的には一切認められないっていう立場の人もいるし、どれが正しいとか間違っているっていうのは、たぶん分らないんですよね・・・。自分たちで決めるしかないかな、と思いますね。
で、日本の場合には、中絶というのは、(ダウン症等の)赤ちゃんの理由で手術する事は出来ないんですけれども、一応、法律的には、優生保護法という法律に従っていれば、罪に問われないっていう事にはなるんですよね。
ただ、資格がない人が勝手にやったら、これは堕胎罪といって、殺人ではないんだけれども罪に問われますよね。
だから飽くまでも、きちんとした法律の下にきちんとした医師の下でやる分には、一応、法律がそれを認めましょうという例外的な扱いで、何でもかんでも手術していいっていう訳ではないんですね。法律も、そんな事は言っていないんですね。