《資本主義は”お金>人間(命)”という奴隷のシステム?》(1)
【2015年1月に作成】
我々は、当然の様にこの資本主義の世の中で生きていて、これが当然と考えて、このシステムの中で、成功や幸せを目指しているが、そもそもこのシステムは良いものなのだろうか?
成功というと、ほぼ当然の様に、事業を大きくして財産や収入を手に入れるというイメージが定着している。
また、自分の子供を小さいころから、良い中学校、良い高校、良い大学、そして良い企業に就職させようと必死になるのは、何が目的なのか?
その子供の生きがいや夢を実現する事というよりは、良い企業に入って、安定したお給料をもらって、経済的に、つまりお金に苦労せずに生きていける様に、という考え方だと思う。
つまり、全て、お金が中心なのである。
例えば、現在、原発の再稼働問題が取りざたされている。盛んに反対運動も行われているが、なんと驚く事に、原発が存在する殆どの地元では、”早く再稼働してくれ”の大合唱なのだそうだ。
福島で、何万人もの人々を危険にさらし、そして地球・宇宙から預かっている大地を数万年にわたって汚しておきながら、尚且つまだ、そのリスクを地元に持ち込んでまで、再稼働に賛成するのは何故なのか?
それは、つまり、”お金”の問題である。恐らく人間であれば、あるいは人の子であり、人の親であれば、ほんとうは、あんな危険な原発なんか、地元には無い方が良いに決まっている。
でも、それが稼働すれば、明日からのお給料がもらえる、または商売が潤う、となれば、リスクには目をつむり、または本当の自分の心をごまかして、仕方なく妥協して賛成する、あるいは仕方なく反対をしない、ということになるのであろう。
つまり、全て、お金が優先なのである。自分の本心や、命、大自然や、地球や宇宙の節理よりも、お金という束縛、支配に勝てないのである。 資本主義とはそもそも、お金と人間、お金と命、お金と地球のバランスが悪い、間違ったシステムだと思う。 式で表わすと、 お金>人間、お金>命、お金>地球や宇宙、 が資本主義の現状である。 まず、人間よりもお金の方が長生きであることが間違っていると思う。 人間は、凡そ80年くらいで死ぬが、お金は死なない。だから、人は、自分が死んでも子孫にお金や財産を残そうとする。 もし、お金の寿命が50年くらい、つまり、マイナス利子か減価していく様なシステムで、50年後にはゼロになる様なものであれば、人間は、これほどお金に執着するだろうか。 お金は、貯める事が出来るところに問題がある。お金が減価するならば、価値の高い内に使おうとするので、経済も活性化するだろうし、貯蓄が出来なければ、極端な貧富の差も生まれない。 もし、そういうシステムが出来れば、人々は、子孫にお金を残そうとするのではなく、もっと他の何か、生きがいとか、働いて世の中に貢献する考え方とかスキルなど、そういったものを残そうとするだろう。 もし、そういうシステムが実現すれば、式は、 お金<人間、お金<命、お金<地球や宇宙、となるかもしれない。 また、今、世界の殆どの活動は、株式会社という組織形態で行われているが、これが根本的に間違っていると思う。 例えば、社員が、少ないお給料で一生懸命頑張って大きくした企業であったとしても、その権利や利益は、単にお金を出した株主が享受するのである。 企業でなにかトラブルが起こった場合の意思決定機関は株主総会であるが、株主というのは、実際にそこで汗水して、また毎日出社をして、毎日頑張って現場で働いている社員ではなく、単にお金だけを出して見ているだけの人達である。 また、素晴らしい映画を制作した映画監督とそのスポンサー企業がいた場合、その映画の権利は、当然のごとく、実際に作った映画監督ではなく、単にお金を出したスポンサーのものになるのである。 株式会社とは、人間よりもお金の方が強いシステムである。この株式会社が中心となって運営されているのが資本主義社会であり、すべてはお金による支配の社会システムだと思う。 いや、この世は民主主義で、人々には投票権というものがあり、一人一人がリーダーを選ぶ権利がある、というかもしれない。 しかし、人々がリーダーを選ぶ際に、例えば、本当は原発反対の政治家に投票したいが、地元に産業を誘致してくれそうだからということで、景気優先の判断をしてしまう。 みんな、判断基準は景気、つまりお金優先なのである。 もし、ほんとうに一人一人が平等の民主主義というならば、人々にとって一番重要なのがお金なのだから、一人一人に政治家を選ぶ為の1票を与えると同時に、一人一人に直接的に生活費を与えれば、これはほんとうの民主主義になる可能性がある。 例えば、一人月に10万円づつは老若男女、みんなに与える。そして、最低限の生活は保障されたうえで、政治家を選ぶ。 もしそれが出来れば、裕福ではなくても生活に困らなければ、原発に反対の人は反対と言えるかもしれない、反社会的で本当はやりたくない仕事であれば、キッパリと辞める事が出来るかもしれない。 民主主義とか一人一票の政治システムは、この社会が平等だと思い込ませるカモフラージュだと思う。実際に社会を支配、コントロールしているのは、政治ではなく、経済、もっとハッキリ言えば、お金である。 お金から自由にならないと、本当の自由はない。