(フロリアーナさん)
10数年前の子供達と今の子供達は、どの様な違いがあるのでしょう?
(飛谷先生)
オッケー、私も考える訳ですよねえ、30年もこんな教育やってると、
昔の子供はじっくりと取り組むことが出来た、黙々とという様な表現、日本では一番分り易いんですけど、
で、今の子供はそれが無い、それでそれが何で無いかと考えた訳ですよねえ、それはインタ―ネットの普及、
例えばね、私達が小さい時や学生だった時代には、何か調べるっていうと図書館に行って本から学んだ訳ですよねえ、
そしてその中から、アッこれだ!って拾う訳ですよねえ、ところが今の子達はそんなことしない、何をするか?、パソコン開く、パッと出てくる、
そうすると何かって言えば努力しなくてもモノが手に入る、じゃあそれは目出度いことか?、良いことか?、
悪いことじゃないかも知れないんですけれども、そこの深い意識とか、集中とか、思考とか、かつてはそういうものを子供が身に付けられる生活現場だったけれども、
今はそういうのが必要なくなってきてる、というところに大きな落とし穴がある、と私は思ってます、
(ニコさん)
これからどういう風に今のシチュエーションが更になっていくと考えられますか?
(飛谷先生)
私も分らないんですよねえ、事実は分るとして、事実は分るけれども今後どうしていくか?、それが私の課題でもある、
ただしあの~、パソコンで調べる、パソコンで情報を得るということは悪いという断定は出来ないと思うんですよね、
人間自体が変化してくるかも知れない、どう?
(フロリアーナさん)
同じように考えていて、本から知識を得たりしている時にはスゴく深いところで、時間をかえて閃いていたり、その閃きを持つまでに忍耐、そこまで頑張るっていうことが出来ていたんだけれども、
今となってはスピーディに変わっていく、全てにおいてショートカット、短くしていくということがあるので、
旅にしても何か調べるにしても・・・・、しかもスケジュールがキチキチした中に入ってしまっていて、私達はスゴく時間を気にする様になっている、と言う風に感じています
(飛谷先生)
そこに付随してですけれども、いま子供達の置かれている立場、これ私は危険だと思ってるんですけど、
すごいスピードで世の中が動いてる、それで溢れんばかりの情報、こういう中で子供はいる訳ですよねえ、
そうすると子供の中で、そういう状況の中でいた時に果たしてホントにあの、今までの機能を持った脳とか体が上手に巧く発達していくだろうか?、って危惧する時がある・・・、
で、アメリカのレイチェルカーソンのセンス オブ ワンダーっていう本があるんですね、でその中には、雨をこの顔にあててみたり手にあててみたり、雨の感触を味わったり、
そういう事とか夜空の星とか、空を流れる雲とかね、そういう時代に生きた子供達とは完全に違ってくるだろうな、と思う訳ですよね、
私達は生き物、動物なのに、人工的な作り上げたものと出会うことがスゴく多くなってきてる、もう一度動物に戻ることも必要じゃないかな?と思ってるんですよね、
で、こう大きな木を抱えた時に、木も呼吸してるんだってことが解かる訳ですよねえ、そういう経験する子は少ないと思うんですよね、
ていう様なことを感じます、はい